いい加減にしないと私の心のパラメーターは限界を迎えてしまいそうな予感がしています。人間関係のもつれによって私は多大なせつなさを味わってしまいました。それにより過食症になってしまった私は、堂々と女の子のまえに立つ勇気すら見失ってしまったのです。オトコとしてコレは非常にマズイと危うさを隠せなくなってしまった私は、とりあえず大阪の人気デリヘル嬢とプレイをすることを決めたのです。そして、気になっていた元キャバクラをしていたデリヘル嬢を指名したのです。ひと昔まえまでのパネルには加工がたくさん施されていたみたいなので、私みたいなイライラしやすい人間はいつもデリヘル嬢やデリヘル店に苦情をよく言っていたのですが、さいきんはパネル画像よりも実物のほうがキュートな場合が多々ありますので、私は非常にワクワクしてしまうのです。まあ、私の場合は信頼しているデリヘル店にしか電話をかけないのですが、たぶん殆どのデリヘル店が同じようにパネルの加工は少なめにしているはずですよ。こんな時代にサギまがいな商売をしたって何の得にもならないので、デリヘル店もお客さんたちに信頼を売ってくれているのだと私は考えています。やはり安心感はいりますね。
また指名したいデリヘル
たまに、めちゃくちゃデリヘル嬢を抱きしめたくなってしまうのは何故なのでしょうか?自分自身ではよくわからないのですが、これが恋ってやつなのでしょうか?私はいままでここ大阪で何度も何度もステキな女の子と恋愛を重ねてきましたが、ハッキリ言って可愛いと自信満々にいえる女の子とはお付き合いをした経験がありません。それに比べてさいきんのデリヘル嬢はあまりにも見た目のレベルが高すぎるのでビックリしてしまいます。どうして私の周りにいる女の子たちはあんなにもブチャイクで性格も悪いくせに普通の仕事やアルバイトをしているのでしょうか?私なんて、ハッキリ言っていつもステキすぎるデリヘル嬢から優しいキスをされるたびに、このデリヘル嬢は大学のミスキャンパスでもおかしくないと思ってしまうのです。かなり可愛い女の子が普通にデリヘル嬢として頑張っている現実は本当に素晴らしいです。私はもう、日本には恥じらいといった文化や格式など必要ないのかも知れないと思ってきています。可愛いデリヘル嬢と二人きりでお風呂に入っている時間は私にとって、子供がディズニーランドで遊んでいるような気分そのものなんです。まだまだ遊びたりない私なのであります。
専門家でも知りえないものは知りえない
デリヘル嬢と一緒に大阪のラブホでテレビを観ていた時のこそ。とある報道番組で、東北地方の主婦や農家の人たちの多くが次のような憤りを叫んでいた。
「何ベクレルだか何マイクロシーベルトだか知らないが、そんな数字を言われてもさっぱりピンと来ない。結局のところ、どれぐらいの放射能被曝をしたら、人体にどういう影響が出るのか?それをはっきり教えて欲しい」と。
アホか?と思う。
「どんな事であっても、専門家や知識人に聞けば誰かが明快に教えてくれる筈だ」などと思い込んでいるバカどもが何故こうも多いのだろう。
「どれぐらいの量の放射能を人体に浴びせ続ければ、どのような影響が出るのか」
こんな事を過去に実験した試しなどあるわけがないし、試みようもない。唯一あるものと言えばチェルノブイリなど過去の原発事故によって放射能汚染された地域の住民のその後の人体の経過のデータぐらいであって、それらも今回の福島での原発事故のほんの参考程度になるぐらいであって、状況も条件も全く異なっている。
実証済みデータがないのだから、専門家であっても「これだけの量の放射能を○年間浴び続けると、○年後には人体にこういう影響が出る可能性が高い」などとはっきり分かるわけがないだろう。
何故こんな当然のことが分からないのか。
「ある人は”これぐらいなら安心していよい”と言い、またある人は”いや、これぐらいでも危険だ”と言い、学者によって言ってる事がバラバラで、何を信用していいのか分からない」。確かにそうだろうが、先述のように「元となるデータがない」のだから、当然学者によって見解がバラバラになるのも仕方がない。
学者や専門家であっても、人体実験するわけにはいかない事象に関して、「人体への影響」を明言出来るわけがないのだという当たり前の事を理解するべきだろう。
老舗ヘルス
僕は大阪の風俗の中でもやはりデリヘルを利用する事が多い。一人暮らしなので、電話一本で女の子を呼べるデリヘルがやはり手軽なのだ。
しかもありがたいことに、新風営法で正式な風俗営業として認められるようになって以来、お店の数は増えていき、未だに新しいお店が登場している状態である。
このように、今や風俗業界で最も活気のあるジャンルとなっているデリヘルだが、しかし、僕は昔ながらの老舗ヘルスもなくなっては欲しくないと思っている。
僕はコーヒーが好きで、よく喫茶店に行く。今やコーヒーを飲みに行くお店と言えば世間ではスタバなどセルフサービスのチェーン店が主流となっているが、僕はどうもあのテのお店には行こうとは思わない。昔ながらの、スポーツ新聞などが置いてある喫茶店が好きなのだ。確かにコーヒー1杯の値段などはセルフサービスの大手チェーン店に比べて高くつく。それでも、街中で昔から営業している個人経営の喫茶店に何故か足が向いてしまうのだ。
そういう、老舗店への愛情みたいな気持ちから、風俗に関しても、昔からずっと続いているヘルスやソープを応援していきたい気分になるわけである。
おそらく、年配の男性で風俗をよく利用する人も、お気に入りのお店というのはそういう老舗ヘルスやソープだったりするのではないだろうか。そんな人たちに為にも是非とも長く営業を続けて欲しいと願っている。
デリヘルで遊ぶ男への理解
自分のカレシや夫大阪のがデリヘルで遊んだり、アダルトDVDを観たりする事を「許せない」とする女性は多い。
「恋人がいながら、そんな事をするなんて浮気と同じだ」という言い分なのだろう。
しかし、デリヘルやアダルトDVDは、確かに恋人がいない男にとっての恋人の代替えという側面もあるが、それが全てではない。たとえ恋人がいようとも、デリヘルで遊んだりアダルトDVDを観たりする事への欲求がなくなる事はないのだ。つまり、恋人との関係とデリヘル遊びやアダルトDVDを観る事とは全くの別物なのである。この点を女性は理解してくれない。
まあ、このあたりはどれだけ理路整然と説明したところで、女性の本能として生理的に受け付けないのだろうから、無理もない話しである。
しかし、そう考えると、つくづくデリヘル嬢はスゴイと思う。女性として殆ど理解不能で、生理的に受け付けられない「デリヘル遊びをする男」を、お客として笑顔で迎え入れ、接しているのだから。
もちろん仕事と割り切っているからこそ可能なのだろうが、デリヘル嬢と話しをしていると、それほど「素の自分としては生理的に受け付けないが、そこは仕事としてガマンして接している」という女性ばかりでもない。むしろ、「男のデリヘル遊びは理解出来る」というデリヘル嬢も少なくないのだ。「私も男として生まれ変わったなら、まずはデリヘルへ行ってみたい」とさえ言う女の子もいる。
こうしたデリヘル嬢のメンタリティや理解力を全ての女性に望みたい。
美味しいラーメン屋教えてと言われても
デリヘル嬢を呼んだ時など、その女の子が大阪以外の出身の場合、「私こっちに来てまだ間もないんだけど、この辺で美味しい○○屋知ってたら教えて」などと聞かれる事がよくある。
おそらく他府県出身者にこのような質問をされた経験は多くの人が持っていると思う。
この場合大抵、○○屋の部分には「焼肉屋」か「ラーメン屋」が入ってくる。また、例えば大阪や広島なら「お好み焼き屋」なども入ってくるだろう。
この質問が僕には困りものなのだ。
こう聞かれても僕には、「どこのラーメン屋に行っても、それなりの味ですよ」としか答えようがないのである。
僕もさすがに安いバラ肉と神戸牛の違いぐらいははっきり分かる。しかしラーメン屋に関して「ここのラーメンは旨い」「ここのラーメンはイマイチ」などとは思わない、いや思えないのだ。違いが分かるとすれば、「この店は醤油ベース、この店はとんこつベース」といった事ぐらいである。
世間では多くの人が「ここのラーメンはオレが食ったラーメンの中で一番旨い」とか「ここのラーメンは最悪」とか言ってるが、それほどまでにラーメン屋によって、旨いマズイの違いってあるのか?僕には全く理解出来ない。
太面の方が好きとかちぢれ面の方が好きとか、濃い味が好きとか薄味が好きとか、そういう個人ごとの好みの違いはあるだろうが、ラーメンの「味」自体の旨いマズイの違いが果たして本当に明確に存在するのか、そこが僕には甚だギモンなのだ。
天下の悪法「新暴対法」
今回、新たな暴対法が施行される。
そこでは、暴力団自体ではなく、一般市民が規制の対象となっている。一般市民に対して規制している内容はというと、
暴力団組員と食事をしてはダメ!
暴力団組員とゴルフをしてもダメ!
暴力団組員に会場を貸してもダメ!
といった具合だ。
どうだろう?これはもう完全に「警察の逃げ」ではないか。
暴力団に対して真っ向から組織の壊滅を図ることが出来ない自分たちが、「アナタたち市民がこういった行為を止めていかなければ暴力団の排除は実現していけないんですよ!?」と、まるで責任転嫁しているかのようである。
よくもまあ、こんな自分たちの恥さらしのような法律を制定したものである。
こんなのは例えばイジメが行われている学校で、イジメを行っている張本人が誰か分かっているのに、その本人にイジメ行為を止めさせる事が出来ない教師たちが、他の生徒達に向けて「イジメっこの言いなりになった生徒には罰則を与える」という校則をつくるようなものだと思う。
こんな法律がまかり通るような国では、社会の風紀を正すために性風俗店を排除する方向の一環として、風俗店自体をいくら規制してもイタチごっこになってしまうからという理由で、一般男性に向けて「デリヘルを利用した者には罰則を与える」という法律を作ってしまいかねない。困ったものである。大阪ではもっと自由に遊びたいのに。
原発反対と簡単に言うけれど…
何か、今って「原発はもう要らない!」って言わないと「この体制派!」と非難されるような雰囲気に溢れている。
そりゃ確かに今回の事故を経験してつくづく核や放射能は厄介なものだと痛感したし、そんな危険な可能性のある原発などないに越したことはないと思う。
しかしだからと言って安易に原発全面撤廃、脱原発を願う気には僕はなれないのだ。
それは何故かというと、真夏の冷房、パソコン、電子レンジなど、僕にとって現在の消費電力をグンと控えるようにする事は非常に困難だからだ。
「今の我々は電力を大量消費する生活に慣れすぎてしまっている。50年、60年前のような生活をすれば今よりずっと消費電力は抑えられる」。原発反対派の中にはこういう事を言う人もいるが、僕はそんなのは絶対にイヤだ。
「原発はなくした方がいいとは思うけど、でも真夏にクーラーつけるのをガマンしたり、電車の本数が減ったり、そんな今よりちょっと不自由な暮らしに後戻りするのはイヤだ」というのが正直な心情だという人はきっとかなり大勢いると思う。
それなのに、どうも「そういう事は言っちゃいけない」みたいな風潮がある。そこにどうも違和感を感じる。
原発反対を叫ぶ前に、「原発がなくなっても消費電力は今と変わりない生活をしていける」という保証がない限り、原発反対の声を手放しに歓迎する事は出来ないのだ。
大体、クーラーもろくにつけられない状態では真夏に大阪の自宅でデリヘル嬢とイチャつく事も出来なくなるではないか…。
敢えて言葉の通じない外国人を
基本的に社交辞令的な会話が非常に苦手というか煩わしく感じる性質である。
だから、デリヘル嬢を自宅に呼ぶ時も、その事を考えて少し億劫になることがある。やはりデリヘルといえども初対面のデリヘル嬢とは、いきなり無言でプレイに突入することは出来ない。相手も「ちょっと、ちょっと、いきなり?」となるだろう。だから、まずは軽く談笑から入らざるを得ない。
そこなのだ。そこが時に億劫なのだ。「どう、最近は?忙しい?」とか「この仕事はいつから始めてるの?」とか、そんな取りとめもない会話をしなくてはらないのが面倒なのだ。
で、そういう時僕はどうするかと言うと、敢えてアジア系デリヘルのお店を利用するようにしている。そして受付に「なるべく日本語が達者でないデリヘル嬢を呼びたい」とリクエストするのだ。大抵の店員は「え?日本語が話せるコじゃなくて、あまり話せないコの方がいいんですか?」といぶしがる。
しかし、それがいいわけである。お互い言葉が通じないから会話も成立しない。それが分かっているから、結局殆ど会話自体をしないのだ。
もうどうでもいいような会話は抜きにして、すぐにプレイに入れるわけだ。そして時間たっぷりプレイに興じて、プレイ後の談笑もなくさっさとシャワー浴びてはいサヨナラ。これが楽でいい。
これからのデリヘル業界
今現在日本は不況である。当然ながらデリヘル業界も厳しい状況が以前続いている。
政治家も経済評論家も、「まずは経済成長が先決」と言う。
しかし、今後経済成長率がまた昔のように右肩上がりになるというのは、あまりにも現実的でないと思う。
何よりもまず今後日本の人口は確実に減っていくわけである。人工が減るという事は労働人口も当然それに比例して減る。消費者人口も減る。そんな状況で経済が成長することなど不可能と言っていいだろう。
となると、経済が縮小していく中で、今後我々国民がどのように充実した暮らしをしていけるか?という点を考える事の方が先決だと思うのだ。
そして企業も、商店も、もはや大きな需要を獲得して規模を拡大していくという幻想は捨て、いかに少ない需要を確保し、安定した経営を成り立たせていくかという小規模経営の考え方に切り替えなければならないだろう。
デリヘル店もまさにそうである。幅広く大多数の利用者を獲得してお店の規模を拡大していくのはもはや不可能に近く、それよりも、限られた愛用者を確保し、細々と、しかし確実に経営を成り立たせていくべきなのだ。
という事は、いかに「オレが満足のいくプレイはこのお店でしか出来ない」という、その人にとっての唯一無比の存在になれるか?が今後問われてくるわけだ。
だから、今後はよりマニアックであったりニッチな趣味嗜好であったり、そういうところを突いて、そこのニーズを獲得し支持を得る事が出来たお店が生き残っていくのではないかと思う。